2007年 08月 02日
やきもののまち~常滑へ |
先日、やきもののまち愛知県常滑に行ってきました。
かつては日本六古窯のひとつと言われて、2千基を越す古窯群で知られている焼物の町。
平安時代の末期には古常滑と呼ばれる、創始期の常滑焼がすでに存在していたよう。
窯屋が集まった地域の、古くからの小路をつないだ
「焼物散歩道」と名づけられた道があり、そこをのんびり回りました。
ぬうように細くて急な坂道が続きます。
ギャラリー、shop、体験なども行える窯場などが点々とありました。
今はもう使われていないようですが、
山の斜面を利用してつくられた巨大な登窯が。
おおよそ、幅が10m近く、全長なんと22m!すごい迫力。
前面には6つ、側面には8つの焚口。
全体に火が回るのに11日間もかかったというのも頷けます。
その昔はここでこんな大きな窯を実際に焚いていたなんて。。
連なる家々は黒っぽい板壁が多い。
時を経て年季が出ていることもあるのだろうが、
このあたりは伊勢湾にも近いため海風の塩害を避けるための防腐剤が塗られたことにもよるよう。
散歩道の一番高いあたりに登りつめると、町が見渡せた。
窯の煙突があちらこちらある風景。
今なお使われているものは少ないようだが
かつては、競って窯焚きをし、始終煙があがり、町全体を黒い煙が覆っていたという。
「たんすの中の着物まで黒くなった」などとも言われていたようだから余程すごかったのだろう。
途中、右は焼酎瓶、左は土管、足下には土管の敷輪をぎっしり埋め込まれた
焼物だらけの道があったり、
土管が家の土台になっていたり、塀がわりになっていたり、土止めになっていたりするのを
よく見かけた。
積み上げられ野ざらしになっている焼物も多かった。
このまちをずっと支えてきているやきものたち。
このまちの風景をつくっているやきものたち。
まちに強く深く生きづいていました。
他にものんびりお散歩しているこを発見。
かつては日本六古窯のひとつと言われて、2千基を越す古窯群で知られている焼物の町。
平安時代の末期には古常滑と呼ばれる、創始期の常滑焼がすでに存在していたよう。
窯屋が集まった地域の、古くからの小路をつないだ
「焼物散歩道」と名づけられた道があり、そこをのんびり回りました。
ぬうように細くて急な坂道が続きます。
ギャラリー、shop、体験なども行える窯場などが点々とありました。
今はもう使われていないようですが、
山の斜面を利用してつくられた巨大な登窯が。
おおよそ、幅が10m近く、全長なんと22m!すごい迫力。
前面には6つ、側面には8つの焚口。
全体に火が回るのに11日間もかかったというのも頷けます。
その昔はここでこんな大きな窯を実際に焚いていたなんて。。
連なる家々は黒っぽい板壁が多い。
時を経て年季が出ていることもあるのだろうが、
このあたりは伊勢湾にも近いため海風の塩害を避けるための防腐剤が塗られたことにもよるよう。
散歩道の一番高いあたりに登りつめると、町が見渡せた。
窯の煙突があちらこちらある風景。
今なお使われているものは少ないようだが
かつては、競って窯焚きをし、始終煙があがり、町全体を黒い煙が覆っていたという。
「たんすの中の着物まで黒くなった」などとも言われていたようだから余程すごかったのだろう。
途中、右は焼酎瓶、左は土管、足下には土管の敷輪をぎっしり埋め込まれた
焼物だらけの道があったり、
土管が家の土台になっていたり、塀がわりになっていたり、土止めになっていたりするのを
よく見かけた。
積み上げられ野ざらしになっている焼物も多かった。
このまちをずっと支えてきているやきものたち。
このまちの風景をつくっているやきものたち。
まちに強く深く生きづいていました。
他にものんびりお散歩しているこを発見。
by hanahiraku0715
| 2007-08-02 07:45
| おでかけ